アテネといえば何を置いても一番に思いつくのが、こちら!
パルテノン神殿ですよね☆15年という歳月をかけて、紀元前432年に完成したというこのパルテノン神殿。これだけを見に来たといっても過言ではないほど、アテネ最大の見所でした。およそ2500年前に建てられたこの建造物の前に立つと、人間の人生なんて、なんと短いんだろうと思いますね・・・。雄大で美しくて重々しい神殿は、あまりに神々しくて、これが人間の力で建てられたことを疑いたくなるほどでした。
このパルテノン神殿はアクロポリス遺跡の一部です。
アクロポリスとは“高い丘の上の都市”という意味だそうで、神殿が建てられた聖域でもあり、また他民族の侵入を防ぐための城塞にも利用されていたんだとか。
では、そのアクロポリス遺跡を含め、古代アゴラ他、代表的なアテネの観光スポットをざっとご紹介します。
“エレクティオン” ↓
6人の少女像を柱にした柱廊が張り出しているこの建造物は、伝説上の王エレクテウスの館とされていたそうで、紀元前408年に完成。この少女像は複製で、オリジナルのうち5体は新アクロポリス博物館に、そして残り1体はロンドンの大英博物館に保管されているみたいです。1体だけ離れ離れにしたらなんだか可哀想ですね・・・。
そしてこちら↓が今も現役で使用されている“イロド・アティコス音楽堂”。ギリシア古典劇、コンサート、オペラなどが上演されているそうです。アッティカの大富豪イロド・アティコスがアテネ市に寄贈したもので161年に建築されたとか。遺跡の中で観劇出来るなんてこれ以上の贅沢があるんでしょうか。
こちらは“アドリアノスの門”と“ゼウス神殿”。この門と神殿は大通りに面していて、現代の街中に突如として現れるような遺跡で、なんだか不思議な感覚に陥ります。
2世紀に完成したゼウス神殿は、かつて104本のコリント式の柱が並んでいたそうですが、今はそのうちの15本しか残っていません。それでも威厳がある姿には変わりなく、堂々と聳え立っています。
↑アドリアノスの図書館。 2世紀ごろにローマ皇帝アドリアノスが建てた図書館だそう。今となってはごく一部の壁しか残っていませんが、相当大きな図書館だったはず。
↓古代アゴラの一部、アタロスの柱廊博物館。ギリシアの遺跡の中でただひとつ完全に復元された建造物で、建築様式は典型的なギリシアの柱廊。当時は赤と青で塗られていたらしいです。ここまで全て古代人の手で造られたままの姿の遺跡を目の当たりにしていたので、復元されることがいいことなのかどうか考えてしまいました・・・、この気持ちは私だけでしょうか?
古代アゴラにあるアグリッパの音楽堂前に残る↓頭部を失った巨人とトリトン(半人半魚)の像が3体。
バックには先ほどまでいたアクロポリスが見えました。この古代アゴラもアクロポリスと並ぶ重要な遺跡。
そしておしまいに、“無名戦士の墓”と衛兵の交代。 衛兵の後ろの壁面に横たわる兵士の姿が彫られています。1823年からの約400年間ものトルコ支配に終止符を打った独立戦争の戦死者や、それ以降の戦争で犠牲になった兵士達の霊を慰めるために造られたそうです。
無名戦士の墓を守る衛兵は、1時間ごとに交代します。エヴゾナスという民族衣装を纏った衛兵の交代が見られるので、このあたりは常に観光客が大勢いました。日曜日10:50~の交代は大規模だそうですが、私達が行ったときはイースターだったからか、いつもよりも2人増えているだけでした。↑こちらは平日の衛兵交代。
かなり駆け足でザックリとアテネの観光名所をいくつかご紹介しました。沢山の遺跡に感動する一方で、アテネという街の印象は、正直、古代遺跡に埋もれてしまったかのように、殺伐としていて、眠ってしまったような物悲しさを感じずにはいられませんでした。
観光客が集まる広場や通りには、路上にブランドのコピー商品が陳列され、出稼ぎに来た外国人の姿を数え切れないほど見かけました。時折、人の持ち物ばかりやたら目で追っている怪しげな人たちも徘徊していました。そしてビルの貸テナントで借り手がいないのか空き部屋がやたらと目に付きました。最近のニュースでもギリシャ情勢の悪化がかなり取り上げられていましたが、そんなギリシャ・アテネの今も見ることが出来たことは、とてもいい勉強になりました。
さて『ギリシャ・アテネの旅②』では、少しだけ遠出してピレウス港からフェリーに乗ってエギナ島までクルージングしてきたので、エギナ島観光編と題してお届けしますね♪
では長くなりましたが、今日はこの辺で☆