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エッセイ Vol.1
我が事務所、ライムライトでは毎週1回教育という名のレッスンを行っています。その中で、最近「エッセイ」を書いてくるという宿題があるんです。前の週にお題を言われ、そのお題に絡んでいれば、何でも自由に書いてOKというもの。原稿用紙3~4枚程度。文章力とリポート力は通ずるものがあるそうで、新人さんをはじめ、キャリアの浅い私たちはこの課題に取り組んでます。
先週のタイトルは・・・「空」でした。……というわけでせっかく書いたので、ブログに載せちゃいますね!
(注: エッセイはフィクションです)
≪ 空 ≫ 土屋晴乃
夜寝る前、母はベランダに出て空を仰ぐ。
そして目を閉じ、手を合わせるとしばらく何かに祈りをささげる。
空を見上げる母の顔はいつも穏やかで温かい笑みがこぼれている。
私が物心ついたときから母にはこの習慣があり、幼いころは母が宇宙と交信しているの
だと思っていた。
どんなに疲れた日でも、雨や雪が降る寒い日でも、パジャマを着たまま必ず外に出る。そして、一日の終わりに空を見上げる。まるでイスラム教徒が世界中どこにいてもメッカの方角に向かって祈りをささげるように、母は旅行先でも必ず空を仰ぐのだ。
空には何かがいるのかもしれない。
そう思い始めたのは、中学に上がるころだった。このころになると、さすがに母が宇宙と交信しているなどという滑稽な妄想は抱かなくなったが、それでも空を仰ぐ母の横顔を見ると、やはり見えない何かと交信しているように思えてならなかった。
何故いつも空に祈りをささげるのか?それは聞いてはいけないことのような気がした。母の神聖な領域に血を分けた子供であっても足を踏み入れてはいけないという自制があった。
大学受験が終わり、我が家にもようやくホッとした穏やかな空気が流れ始めたころ、訃報が届いた。沖縄にいる母方の祖母が他界したのだ。知らせを受けたのは、夜中の3時を廻っていた。翌朝一番の飛行機はあいにく満席で、キャンセル待ちだった。居ても立ってもいられない父と私は、とにかく何日滞在することになるのか分からないので、ひと通りの身支度を整え始めた。
ふと母の様子が気になったが、部屋のどこにも見当たらない。知らせを受けたときは平常心を保っているように見えた。しかし、自分の母親の死に動転しない娘はいない。心配になり、家中を探すと、いつものベランダで目をつむり空を見上げていた。まだ夜明け前の真っ暗な中、月夜に照らされた母の顔は涙で光っていた。
このとき初めて分かった気がした。
母が長年交信していた相手は、おばあちゃんだったんだと・・・・・・。
アメリカ軍政下に置かれた昭和41年。単身、パスポートを片手に沖縄から上京した母。故郷を離れ、親元を離れ、東京で戦い続けた母が、毎日寝る前に想うのは、故郷であり、母親であったのかもしれない。
その夜、いつも空を仰ぎながら見せていた、あの穏やかな顔を見ることはなかった。
母にとって電線が張り巡らされた、排気ガスまみれの東京の空は、故郷につながる特別な存在であり、空を仰ぐ時だけは、唯一娘に戻れたのだろう。
今でも母は、変わらずにあの習慣を続けている。今度はきっと天国と交信しているに違いない。
もちろん私は、そんな母を陰ながら眺めるだけで、神聖な領域には決して入らないようにしている。